■
一番大事なことは、自分がどんな生き方をしたいか自分でわかっていて、
その選択に自信を持っていることだそうだ。
確かにその通りだ。それができていれば自分の人生に満足できるきがする。
けれど、自分はどんな生き方がしたいかなんて分からない。
いや、正確に言えば、「結果がどうであろうと構わない」と思えるような何かを見つけられていない。
うまくいくとわかっていればその生き方がいいけど、うまくいかないならその生き方はいやだ。
そんなところまでの情熱しかないから、潔く何かを選ぶことができずに迷っている。
今日はろくに仕事が進まなかった。特に理由もなく「死にてぇー」とか言ってた。
別に死にたくもないのにね。意訳するなら「全部放り投げて南の島にでも行きたい」だ。
一応少しは仕事をした。頼まれていたAmazonの出品を少しずつ進めた。
オリジナル商品の登録も慣れれば楽なもんだ。さすが一億以上の商品があるAmazonだ。
明日は何をしよう。
少しずつでもいいから手をつけよう。夢中になるには手を動かすことだ。
頭で自分がやりたいことは何か考えていても、たいていは夢中になれない。
手を動かしているうちにエンジンがかかってきて、気がつけば没頭しているものだ。
やる気がなくてもいいから、少しずつでも手を動かそう。
コンテンツをつくる人に憧れる
なんというか、自分は自らコンテンツを作成していない。
最近やっている仕事といえば、コンテンツ保持者が持っていない技術を提供して、コンテンツの供給を手助けしているようなことだ。
そこにはデザインの仕事も含まれる。
もともとデザインの仕事を志したのは、コンテンツを作ることをしたかったからのはずだ。
だけど、自分はコンテンツを作ることを全然していない。
製品でも、イラストでも、WEBでもアプリでもなんでもいい。
コンテンツをつくることをはじめよう。それをライフワークにしたい。
加点法の人生
現状でOK、からスタート。
いつもそれでいい。
現状はいつも十分に満たされている、
現状の自分はすでに完全体である。
人生は、ただそれに加点していくだけである。
やりたいことやったもんがち
自分がしたい生き方ってなんだろう。
「こうだったらいいな」っていう生き方を追って会社をやめたけど、幸福度的にはあんまり変わっていないような気がする。
しかし冷静に考えるとかなり満足な環境だ。朝は目覚ましなんてかけていないし、仕事もまぁぼちぼちもらっている。
定期的に気持ちはこんな風になるけど、例えば今自分が思っているのは「可愛いセフレが欲しい」「金がもっと欲しい」「絵がうまくなりたい」というわかりやすい欲まみれなことだ。これらが全部叶ったら、こういう憂鬱な気持ちは起きなくなるんだろうか?わからないけど、直感的にはなくならないような気がする。
彼女が居ない時は「彼女ができたら憂鬱な気持ちはなくなるはずだ」って思って居たし、会社員をやっていた時は「会社をやめてフリーになれば〜」と思っていた。
多分、満たされない理由を自分の持っていない物のせいにしていれば、今すべきことに向き合わなくて済む(ような気がする)からだ。
流行っていた本の考え方を借りれば「憂鬱な気分になることを自分で選んでいる」ということになる。すなわち憂鬱な気分は自分にとってメリットがあるのだ。
理由は先ほども述べたように、憂鬱な気分になっている間は、今すべきことから目をそらすことができるからだ。
そう考えると、するべきことは明白だ。
気分に関係なく、目の前にある「やりたいこと」をやる。シンプルだ。
シンプルなんだけど、それがなかなかどうして難しいんだよなぁ。
やりたいこと
能力やいろんなしがらみを考えず、
やりたいことや実現したいことを考えてみる。
・絵が描けるようになりたい。
・月30万は稼げるようになりたい。
・可愛い女の子を口説けるようになりたい。
・ギターで遊びたい。
・プログラミングを勉強したい。
・アプリを作ってみたい。
ぱっと思いつくのはそんなところかな。